MISSION VIEJO NIHONGO CHURCH
(Japanese language)
ミッション・ビエホ日本語教会
毎日曜日朝9時ー10時10分
日本語で祈り、賛美し、聖書を学ぶ群れです。
MISSION VIEJO CHRISTIAN CHURCH (www.mvcchome.org) 👈の
プリスクールの部屋「ペンギン」で礼拝がなされています。
(ご注意:教会駐車場への入り口は、Marguerite Pkwy側にあります。)
The ENTRANCE to Church Parking is located on Marguerite Pkwy.
27192 JERONIMO RD. MISSION VIEJO, CA 92692 👈
◎ 読むメッセージ・毎週更新 下にスクロール 👇
個人礼拝用・メッセージ
2023.05.28 「恵みの御霊の降臨」
使徒言行録 Acts 2:32-47
2021.10.31 「あなたの価値」礼拝スライド(賛美歌詞とメッセージ)
2021.09.19 「名が天に記録されているか、この世の土砂にか」
2021.08.29 「末期ガンよりの生還」 関レイ夫人 👈 youtube
2021.08.01 「恵みと祝福は千代まで」申命記 Deuteronomy 7:6-15
2021.07.18 「天国への確実な道」ローマの信徒への手紙 Romans 9:33 - 10:15
2021.07.11 「古代ユダヤの知恵の格言」箴言 Proverbs 1:1-7👈 要約文書
(この回の録画は、手違いのため、できませんでした)
2021.07.04 「人生の試練を活かす」ヨハネ黙示録 Revelation 3:13-22 👈 要約文書
録画 👈
021.06.27 「幸福をもたらす知恵」箴言 Proverbs 3:1-13
2021.06.20 「とても幸いな人」(詩編 Psalms chp.1-2篇)
2021.06.13 「祝福の道を歩もう」(詩編 Psalms 37:1-24)
2021.06.06 「キリストの愛による家庭」エフェソ Ephesians 5:20-33
2021.05.30 「幸福な人生への歩み」エフェソEphesians 5:1-21
2021.05.23 「新しい人を身に着ける」PENTECOST SUNDAY
2021.05.02 「イエス・キリストを見上げて」LOOK UP TO JESUS
2021.04.18 「忍耐が必要」You have need of patience
2021.04.11 「復活の主に近づこう」Let us keep coming to the Lord
2021.03.28 「成し遂げられた」"It is completed!" 👈
2021.03.21 「審判主を裁いた人間」TWO JUDGES
2021.03.14 「道を誤り、それぞれの方角に向かって行った」
2020.10.18 「人間がわたしに何をなしえましょう」👈
2020.10.11 命の光を持つ」ヨハネ福音書 John 8:1-12 👈
201004「心で繰り返し思っていることは?」詩篇 Psalms139:1-18👈
200927「衰える人、栄える人」サムエル記上1 Samuel 18:1-30 👈
200920 「主イエスの御配慮と愛」ヨハネ福音書 John 4:7-26 👈
200913 「神は、心を見られる」サムエル記上16:1-13 👈
200906 「自分と人を較べていると幸福になれない」(エフェソ Ephes. 2:1-10) 👈
200830 「静まって神を知れ」詩篇 Psalms 46:1-12 👈
200823 「人々の声と、神の声」 ルカ Luke 23:13-25 👈
200816 「聴かれる祈り」サムエル 1 Samuel 1:1-20 👈
200809 「人生の岐路で」 ルツ記 Ruth 1:1-19 👈
200802 「主を呼ぶと泉が湧く」👈 士師記 Judges 15:1-20
200726
「ぶどう園と農夫」のたとえ ルカ Luke 20:9-19 👈
200719 「神の国はいつ来るのか」 2020年7月19日 👈
(ルカ Luke 17:20-37) Patio (LANDING area) 9-10 AM
2020年07月12日「信仰により死を免れたラハブ」RAHAB'S FAITH👈
Patio (LANDING area) 9-10 AM
2020年7月5日 「モーセの祈り」PRAYER OF MOSES 👈
朝9時から10時まで、教会のパチオ(Landing Area)で。
◎ 明日、6月28日も、朝9時から10時まで、教会のパチオ(快適なソフアで、日陰)で、礼拝の時を持ちます。
2020年6月28日 「信仰により祝福の人生を歩む」👈ここをクリック
(申命記 Deut.30:1-20)
(ローマ Romans 10:4-13)
2020年6月21日 「安息の日を重んじる幸い」申命記 Deut. 5章1ー22節 👈ここをクリック
2020年 6 月14 日 礼拝メッセージ 「 内なる人」の健康と成長 👈ここをクリック
エフェソの信徒への手紙 エフェソ Ephesians 3:14-21
2020年6月7日 日曜日・ 「聖霊に満たされた人」
2020年5月31日 日曜日・個人礼拝のための読むメッセージ 👈ここをクリック
「聖霊によって洗礼を受ける」
五旬節(ペンテコステ)・礼拝メッセージ
兄妹姉妹、おはようございます。今日はミッション・ビエホ・クリスチャン・チャーチとしては教会再開の準備第一歩として、牧師や奉仕者が、教会堂に来られる方々とお話をしたり、お祈りをしたりする時になっておりますが、まだ正式の礼拝はできませんので、今日も読むメッセージを送りしたいと思います。
2020年5月24日 個人礼拝・読むメッセージ 👈ここをクリック
「私達は孤児ではない」 聖霊が来られる、とのお約束
2020年5月17日・個人礼拝・読むメッセージ 👈ここをクリック
「天上のキリスト」 天におられるキリストは何をしておられるのか?
兄妹姉妹、おはようございます。まだ「在宅指令」が続いていますので、今日もメールやホームページで読むメッセージをお届けしたいと思います。 本日のメッセージを更に深く理解するためには: ここをクリック 👉 「神の右におられるキリスト」
2020年5月10日(200510) 個人礼拝用・読むメッセージ 👈ここをクリック
おはようございます、お変わりないですか、相原牧師です。
お祈りの必要の方はご遠慮なく私の方にいつでもご連絡ください。
電話あるいはテキストで同じ番号ですが、949-413-7772 です。
今日は母の日ですね。最初に、このメッセージを読むお母さんたち、またこれからお母さんになる人たちのために、お祈りをしたいと思います。
「全ての命の父であられる神様、今日あなたの群れのお母さんたちを覚えてください。その愛と忍耐と働きに、あなたが豊かに報いてください。今も子育ての最中の人々には、必要な一切の恵みをお与えください。神の愛に基づいた子供への愛と知恵とをお与えください。そして次の世代を担う子供たちを、神の国のために貢献する立派な人間に育てあげることができるように、必要な一切の助けを与えください。また子育てが一応終わった方々にも、神様からの報いを豊かにお与えください。今日、全ての母親たちを祝福し、御国に向かって、平安で幸いな人生を歩めるようにしてください。主イエスの聖名によってお願いをいたします。」
今日お話しするメッセージ 5月10日 👈ここをクリック 「疫病について聖書の語ること」
参照聖句 聖書全体の記述 「疫病」 👈
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2020年5月03日。コロナ新ウイルス災禍のために、礼拝に集まれない群れのために。 👈ここをクリック
「あなたがたに平安があるように」
おはようございます。 相原牧師です。お変わりありませんか。何か心配なこと、またお祈りの必要なことがありましたら、ご遠慮なくお知らせください。
メッセージの前に、ちょっとお知らせがあります。
それは、オンラインで、教会の新しいホームページを開いたということです。今までのサイト(www.missionviejojapanese.church)では編集がとても難しく、新しいメッセージをのせることができませんでしたが、これからは比較的容易に、それができるようになりましたした。したがって、ホームページのアドレスも変わりましたのでお知らせします。
www.nihongochurch.com です。 前よりもずっと覚えやすく、打ち込みやすくなりました。皆さんのスマートフォンや、タブレットやパソコンのブラウザーのアドレスの欄に、このように打ち込んでみてください。するとすぐに出てきます。2、3週間経てば nihongochurch と打ち込んだだけで検索ができ、教会のサイトに行き着くことができるはずです。今まで、メールだけでお送りしてきたメッセージを、この新しい教会のホームページにも載せたいと思っておりますので、そちらもご覧くだされば今までの記録を読むことができます。インターネットですから意図的に消さない限り世の終わりまで続くはずです(!?)。 (しかし年間の手数料を払わなければ掲載してくれなくなります。)
それでは、今日の個人礼拝用メッセージです。
まず次の聖書の箇所をお読みください。
復活後、弟子たちに現れる
36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、
48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
49 わたしは、父が約束されたもの(聖霊)をあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
ルカ Luke 24:35-49
今日のメッセージの題は「平安があるように」です。
私たちが、一日一日を幸せに生きていくためには、心に平安があるということが、必須の条件ですね。私たちの心の外側、すなわち、住んでいる家とか、収入とか、お金がどれくらいあるか、ないとかいう事は、みな心の外側のことですね。
いつも幸せであるためには、外側がどう変わっても、あなたの心の中には、いつも平安があるということが絶対に必要です。クリスチャンが信仰に成長し、聖書の教えてる通りに生きていくと、無理なくそのような状態になります。私も17歳でクリスチャンになってから、いつも心の平安を保つこと、また、それが増し加わることを毎日の生活で一つの目標、また原理として生きてきました。ですから私は今日も言うことができます。「私は幸せな人間です。心は毎日、毎週ほとんど平安です、心配事を抱え続けていないからです。」と。もちろん、神様の大きな恵みとあわれみに支えられているからです。神の恵みとあわれみなしには、1日も、ひとときもこのような状態でいることはできないでしょう。
今日は、神が人類に対して願っておられるように、どうしたら私たちが毎日を、また一生涯を、心の平安を持って生きることができるか、そのことを聖書から学んでみたいと思います。
今日、拝読した聖書の箇所では、平安のなかった弟子たちの姿を見ることができます。イエス様は、何回も予告・約束された通り、日曜日の早朝に復活されておられたのですけれども、弟子たちの心は、落胆と不安と怖れと、将来への心配で満ちていました。他の福音書と比べると、「ユダヤ人を恐れて、ドアに鍵をかけていた」とも書いてあります。
ヨハネ Joh 20:19
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「平安あれ」と言われた。
That Sunday evening the disciples were meeting behind locked doors because they were afraid of the Jewish leaders. Suddenly, Jesus was standing there among them! “Peace be with you,” he said.
今でもイスラエルの国に観光旅行に行くと人々は日常の生活で「シャローム(平安があるように)」と挨拶を交わしています。 「おはようございます」や「こんばんは」よりもずっと意味のある挨拶だと思います。「あなたに平安があるように」と願いを込めて言うのですから。そこには、善意と、相手の人の幸せを願う気持ちが、込められている、そういう挨拶だと思います。
私たちが使っている新約聖書の原語は、当時の日常のギリシャ語です。しかし私はいつも思っています。イエス様が弟子たちに会われた時にはギリシャ語ではなく、当時のユダヤ人の日常語であったアラマイク語で語られたと。アラマイク語での「平和があなたに」は「シャローム・アレイケム」(shalom aleichem)です。
イエス様は弟子たちに「平安があるように」と挨拶された時、タダノ日常生活の習慣としてではなく、その意味を十分に込めて、お気持ちを込められて言われたと思います。十字架にかかられる前の夜にイエス様は弟子たちに次のように言われました。
27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 ヨハネ John 14:27
イエス様はこう約束されたプレゼントを、今弟子たちが確かに受け取るように、「私の与える遺産を受け取るように」と、言われたのだと思います。ですからヨハネの福音書では、あまり間を空けずに2回も同じ発言をされたことが書いてあります。イエス様は、弟子たちに本当に平安があるようにと願って、この挨拶の言葉を繰り返されたのです。
主イエスの、このお気持ちは今朝も同じであると私は確信しています。あなたの生活に平和があるように、心に平安があるようにと願って語りかけておられるのです。
弟子たちにはどういう面で、平安が必要であったでしょうか。その時の弟子たちの心には、どういう感情が満ちていたでしょうか。考えてみましょう。
弟子たちの心は、落胆、失望、恐れ、惑い、不安、迷い、困惑、これら諸々の感情で満ちていたと思います。(今日の聖書の箇所で赤い字で、下線の引かれているところをご覧ください。)
私たちも人生の色々な問題に直面する時、こういう気持ちになることがありますね。そういう状態から抜け出し、平安になるためにはどうしたらよいのでしょうか。
信仰者の心に、平安が回復するためには:
・ 復活されたイエス・キリストは、歴史上の人物であると知る。
当日、弟子たちはイエス様が事実復活されていたということを聞いても、信じませんでした。 私たちがキリストにあって平安を保つためには、キリストが聖書の記録の通り、また御自分で宣言されたように、真理であり、永遠の命であり、人となられた神、であられると、しっかりと知る必要があります。キリストが歴史上の人物であるということについては否定できる人はいません。 すると、この人物に対して、人間一人一人が取り得る態度は次の三つのうちのひとつです。一つは、キリストは大嘘つきのペテン師で、人々をその巧みな嘘で誘導し、騙し続けた者、すなわち詐欺師であるということ。2つめは、キリストは、精神を病む人であったと言うこと。3つ目は、イエス・キリストは、事実復活された。復活当初から、キリストの群れ(教会)が宣教し続けてきたように、クリスマスに一人の赤子として誕生し、30歳頃から教えを宣べ、十字架につけられ、殺され、葬られ、予告されたように復活されて、弟子たちと再び会って、共に食事をし、語り会われた方である。しかも40日の間に何回も、内輪の弟子たちのみならず、ある時には500人ほどの人々に、ご自分を示された救い主であるということです。この三つのうち、どれを受け入れるのが一番合理的でしょうか。キリストの復活は神話ではありません。宗教に熱心になった人たちが作り出した空想の教えでもありません。聖書は歴史的に起こったことをありのままに記録し、伝えているのです。 不信仰の心は不安をもたらします。
・ 復活されたキリストを自分の神、救い主として信じて心に受け入れる。
弟子達は、「心の目が開かれた時」復活されたキリストが、目の前におられると気がつき、旧約聖書が教えているのは、来るべきメシア・イエスについてであると理解することがことができました。失望して、エマオという村に向かっていた二人の弟子も、復活のキリストに気付くためには、心の目が開かれる必要がありました。神の霊は、今も願う人の「心の目」を開いてくださいます。「私の心の目を、今日も開いてください」とお祈りしましょう。
・ 人間や、状況を恐れない。
神は万物を創造し、保持しておられる活けるお方です。この神があなたのことをよく知り、愛を持って導いていてくださるのです。平安と幸福を願っておられるのです。ですから、何も心配する必要はありません。自分では自分の身丈を三十センチ伸ばすこともできません。神はあなたの髪の毛の数までも、今心の中で思っている全てのことも、よくご存知です。この全知全能の神に、また愛の神にお任せすれば、心配は、すうーっと消えてしまいます。「自分の将来を、復活のキリストが守り導いてくださり、最善にしてくださる」と信じてお任せすることです。
・ 人に対する悪感情を心に抱かない。(怒り、恨み、妬み 等々)
・ 主イエスがいつも側におられることを自覚する。
・ 神からの霊(聖霊)を心に受けて、その御支配と導きに従って歩む。
心の平安を深めるのは正しい知識と信仰にプラスして、神よりの聖い霊、すなわち聖霊、を受け、心に住んでいただき、全人格を支配し、導いていただくことです。それが24章49節に書いてある「父の約束」です。聖霊の御支配のもと、そのお心に沿って歩む人には平安が増し加わります。今週も、復活の主イエスと共に、神の霊に心を満たされて歩みましょう。感謝と希望と平安に満ちて、この期間を過ごしましょう。 神は今日も「あなたに平安があるように」と願い、語っておられます。
33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネ John 16:33
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2020年4月26日 コロナ新ウイルス災禍のために、礼拝に集まれない群れのために. 👈ここをクリック
「今、神は何を人類に語っておられるのだろう?」
おはようございます。 相原牧師です。教会で礼拝を持てなくなってから、もう7週目ですね。
お変わりありませんか。何か心配なこと、またお祈りの必要なことがありましたら、ご遠慮なくお知らせください。
今日の個人礼拝メッセージです。
今この世界中の人々を襲っているコロナの災難について、いったい神様は、人類に、また私に、あなたに何を語っていらっしゃるのだろうかとしきりに考えて、聖書を読んでおります。
今日はルカの福音書から、私の心に響いた御言葉をいくつかご紹介したいと思います。
1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」ルカ Luke 13:1-5
ルカの福音書の13章を読みますと、この災いに会うのはあのガリラヤの人達だけではなく、あなた方も悔い改めなければ皆同じ運命にあうと警告をされました。
聖書の中心メッセージは、神の愛ですが、その愛なる神が、’何回も何回も、聖書の中で人類に悔い改めの必要なことを語っておられます。それは私たち人類の本当の幸福、今生きている間も、永遠でも幸福であるために語っていらっしゃいます。そのためにまず全ての偶像を捨てて私を受け入れなさい、私だけに愛を注ぎ、信頼しなさい、と語っておられます。これが悔い改めるということです。
イエス様が十字架上で語られたお言葉はよく知られていることです。
今日はそれには触れません。一体、十字架にかかられる前で、最後に語られた言葉は何かということを考えてみます。
27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
30 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
31 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」 ルカ福音書 Luke 23:27-31
私の目に留まったのは、このルカの福音書の23章27節から31節までです。ここでイエス様は、苦しみの中、痛みの中から、嘆き悲しんでついてきた群衆に最後のメッセージを語られました。
私が下線を引いたところをご覧ください。これは「私のために泣かないで、自分たちのために泣け」とのメッセージですね。いったいこれは何を指しているのでしょう。
イエス様が十字架にかかられたのは紀元30年としまして、それからおよそ40年後、エルサレムはローマの大軍によって長期間にわたって兵糧攻めに会い、 食べ物がなく、餓死者が次から次へと出ていました。ついにローマ軍は城壁を破ってエルサレム市内に突入しました。その時、ローマ軍の兵隊が、あるユダヤ人たちが金貨を飲み込んで逃げようとしているということに気付きました。そこで、お腹の大きい人、男も女も次々と切さいで、お金を探そうとしたのです。ですからその時、妊娠中の婦人達は災いに遭うと予言されたのです。聖書以外の歴史書にも記されている出来事です。
また同じく、主イエス様が人類の前途についての予言をされた時に、このことは全ての人に臨む、全ての人に語っているのである、と言われましたね。イエス様は当時の人々に、次のように、繰り返し警告をされました。
「いちじくの木」のたとえ
29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。
30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。
31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。
32 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
目を覚ましていなさい
34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
ルカ Luke 21:29-36
同じ主イエスが現代の人々にも、その警告を、愛を持って語っていらっしゃると、私には思えてなりません。やがてこのコロナの災難も終わるでしょう。どれくらいかかるかは多くの見解があってまだ分かりません。しかし収まる時が来るでしょう。その時も、イエス様は私たちに、「目を覚まして、私の帰ってくるのを待っていなさい」とおっしゃっているのでしょう。
私達は、ともしますと、今この世に自分の永遠の都があるように錯覚して、なんとか生きている間だけでも幸せになろう、と必死で頑張っています。健康に注意することも、 経済の計画を立てることも、色々な楽しみを追求することも、皆良いことです。けれども、ともしますと人間は神の御国が来ることを忘れ、神の御国での幸よりも、この世での幸福、今の幸福のみを追求し、心を奪われてしまう傾向性を持っていると思います。
今の幸せを願い求めることは良いことです。しかし聖書は繰り返し、繰り返し、神の御国が来ると語っています。そして御国を求めるように、御国で神にお会いし、全世界から贖われた聖徒たちと共に天の御国の宴席に座るようにと勸めておられます。
ですから、復活後に語られたことは、やはり、この福音は全世界のすべての人々に宣べ伝えられるべきである、ということでした。また私たちが個人的に、心の目をいつも神の御国に向け、待望するべきであること、その備えをなすべきである、ということでした。ですから、結論的に、
第一に、まだ救われていない家族友人親族のためにお祈りしましょう。その人たちが本当の人生の成功者になれるように、すなわち、この世で名誉と富を得るという目標ではなく、神よりの誉れと栄光を受けることを求める人になるように祈りましょう。結局それが私たちの愛する人たちの本当の幸福につながるからです。
第二に、私たち自身の心がいつも主イエスに向かい、 神の御国に向かっているように、お祈りをしましょう
第三に、今日、私たちが神の子たちであることを心から感謝しましょう。
第四に、今このコロナの災害で苦しんでいる人達、家族を失って悲しんでいる人たちの上に、天の慰めと助けがあるように、そしてその方々にも、福音が届くようにお祈りをしましょう.。
45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
47 また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始めて、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。 ルカ Luke 24:45-47
50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 ルカ Luke 24:50-51
◎ 今日も、イエス様は、父の御前で、あなたを祝福して居られます。
Mission/Vision 日本語で聖書のメッセージをお届けする教会です。どなたでも、ご遠慮無くご参加ください。教会キャンパスの、建物#1の220室、会堂の二階です。(エレベーターで二階へ。右に進んで突き当りの角の部屋です。)
Glorify God
MISSION VIEJO NIHONGO (Japanese Language) CHURCH is an inclusive church committed to Christ and His word. We are dedicated to sharing the love of Christ through ministry, fellowship and worship. Our church is not just a house of worship. At its core are the members and believers that come together to practice God’s word, celebrate His love and extend His gifts to all.